〜谷あり山ありジンバライフ〜

青年海外協力隊(2017-1)野球隊員 アフリカはジンバブエで子供たちと共にグランドを駆け回る。日々の思いをつらつらと。

きっかけは、、、📺

サルボナニ〜🙋‍♂️

こちらへジンバブエへ来てもうすぐ2ヶ月が経とうとして居ます!!

そして今日から9月ですね!!!

https://www.youtube.com/watch?v=Gs069dndIYk&feature=share

読売ジャイアンツ阿部選手の登場曲。

 

そんな今日は、僕が青年海外協力隊になろうと思ったきっかけについて書いてみようと思います。🙋‍♂️

 

もともと海外にいって留学してみたいなあ〜

そして英語ペラペラになったらかっこいいなぁ〜

大学で野球してるけど試合出られないな〜

何かしら残したいな〜

なんてことを大学の時に思ってました。そこに飛び込んできたのが南米ボリビアでの短期ボランティア🇧🇴

しかーしTOEICがいるみたいで、3回受けよーやくクリア。笑

 

そして念願叶って大学三年次に初海外ボリビアへ1ヶ月間行ってきました。

その時は同じ野球部の仲間7人で行き、自分の荷物とは別に寄付する道具(いろいろな方々から集めさせてもらった)を1人1つ(23キロ)持ち行きました。

 

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 そして野球を知らない子供たちと野球をする中で初心に帰れたと言うか純粋にスポーツを楽しむと言うことをすごく感じました。正直なところ大学時代の野球は結果がすべて。もちろん楽しかったけれど結果に固執しすぎて楽しむと言う心を忘れていたかもしれませんね。

また、レギュラーとして試合に出ることはなく*(ニグラの村長)として下地を支えていました。笑

野球人生の中で、悔しい思いをしたのも大学時代。だからこそ、経験値としてグゥーンと伸びた気がします。指導者になる上で試合に出る者、出られない者の気持ちを知っておくことは大事で、出る者は、出られない者のためにそして出られない者は出る者のためにこうしてチームが1つになったチームが強いチームになると思います。

余談になりましたが、、、

 

そして、、、大学4年になり教員になるか、協力隊になるかその二択に絞られました。

最後の最後まで考えた末、教採も協力隊の試験も受け、協力隊が受かったので協力隊に行くことに。

もし、教採受かっていたらどうなってたのだろう。

 

そんなこんなでこちらジンバブエへ来て居ます!!

 

p.s ジャイアンツ  3位ベースターズと1.5ゲーム差。

これは熱い。明日も勝って3タテ行きましょう!

熱盛!!!!!